議院内閣制の本質については諸説ある。
議院内閣制の本質を内閣の議会に対する責任に求める説を責任本質説という。この立場に立てば、内閣が議会に対して解散権を持つことが必須ではない。解散権なくとも、信頼と責任があればよいからである。一般的にはこちらが通説である。
また、議院内閣制の本質を内閣と議会の均衡にあるという説を均衡本質説という。こちらは議会の不信任決議と均衡をとる内閣の手段として議会の解散権を持つことが必須であると解釈される。
なお、どちらの説に立脚しても①内閣と議会の分立②内閣は議会に対して責任をもつ、という点においては争いがない。あくまでも、解散権についての論争である。
責任本質説にたつ場合、解散権について議院内閣制を否定することがないため、明文のある69条解散も、7条解散も肯定されうる。分立と議会への責任を重視するがゆえ、69条解散のみ解散が可能という説に結び付きやすいが、本来民主的コントロールのためそれが必要な時には可能であると一般的には説明される。
均衡本質説にたつ場合、解散権が必須であることから、69条における解散はもちろん、7条における解散も肯定される。
なお、判例は苫米地事件により、衆議院の解散という高度に政治性のある事柄は司法判断が可能であっても、司法審査に及ばないと統治行為論にて判断を避けている。
解散権について、69条や7条を根拠とする説の他65条説(行政権は元々本来的に解散権をもつ)制度説(議院内閣制自体が本来的に解散権ーもつ)自律解散説(国権の最高機関である議院は本来的に自己を解散できる)などがあるが、通説は7条説である。